2015年11月07日

高橋長老の御教書 徒然編3

              ありがたいお話であるから正座して読むよ~に

徒然編3 愛の賛歌

「アンコールの曲を2曲用意したけど、『アンコール』って言われなけりゃ、やらないんだろう?」
「心配することないって。絶対『アンコール』って言われるよ」
「前打合せの時、予定は1時間だけど『1時間以上でもいいですよ』って言われたわ」
「あれもやって、これもお願いって言われるんじゃないの」
 Aホールに訪問して本番直前、メンバーの間でこんな会話があった。前回の時も、「あまちゃんのテーマソングをやって欲しい」と突然言われてメロディー無し、伴奏だけのあまちゃんを演奏した苦い思い出がある。ここの訪問演奏は何が起こるかわからない。
 はたして、プログラム最後の曲が終わったら、「アンコール、アンコール」の大合唱だ。よしよし予定通り、と用意したアンコール曲を2曲演奏して終了である。すると、1人の男性が立ち上がった。
「みなさんにお願いがあります。『愛の賛歌』をもう一度演奏していただきたい。そして歌は、このホールの歌姫○○さんのソロでお願いしたいと思います」
 わっと起こった大歓声に、否応もなく愛の賛歌をやることになった。これに応えた○○さんは、伸びのある美声で一同を魅了した。これぞハプニング。
 さて、「愛の賛歌」は、エディット・ピアフの歌で世界中に知られている名曲である。日本では岩谷時子の日本語詞、越路吹雪の名唱が人口に膾炙している。恋人同士の強い愛がテーマの歌で、結婚式でも良く歌われる。
♪あなたのもえる手で 私を抱きしめて
 ただ2人だけで 生きていたいの
 ……
 なんにもいらない なんにもいらない
 あなたと2人 生きて行くのよ
 あたしの願いは ただそれだけよ あなたと2人

「いいわね~。あたしもこんなロマンチックな恋をしたいわ」
「そうよね~。どこかに素敵な人がいないかしら」
「お言葉ですが、ご主人とはどんな恋を?」
「ううん、付きまとわれてうるさかったから、しょうも無しに結婚したのよ」
「もう、おなかが出て、頭も薄くなって、熱が下がってしまったわ」
「でも、結婚する前は素敵だったんでしょう」
「錯覚だったのね。騙されたのよ」
「もっと甲斐性のある人なら我慢できるのにね~」
 いや、これが世の中の夫婦の典型だとは思いたくない。「あなたと2人なら、何にもいらない」と思う気持ちは、この女性たちの心にもあったはずだ。いや、あったに違いない。そんな純真な心をいつまでも持ち続けてほしい、と願うのは、男の我ままなのだろうか。岩谷時子さん、教えて!

漢字の読み方
膾炙  かいしゃ
  


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2015年10月25日

高橋長老の御教書 徒然編2

             ありがたいお話であるから正座して読むよ~に

徒然編2 里の秋

「長老、これ、今度の訪問演奏で使う譜面」
「あっ、ありがとう。何の譜面なのかな」
「里の秋よ」
「そうか、え~と」と譜面を見る。1stマンドリンと2ndマンドリンと3rdマンドリンの譜はあるが、ギターの譜はない。
「えーと、ギターの譜がないんだけど…」
「2ndの下にあります」
「えっ」
 よく見ると手書きでDとかGとか書いてある。
「これがそうかい。思いっきり手抜きの譜面だな~」
「お願いします」
「わかった」
 とにかく、今回はこれで行くしかない。和音だけの手抜きの譜だが、考えようによっては、どんな伴奏を付けるのか演奏者のセンスに任せる、ということだ。それならば、ビギンでもいいし、ドドンパでもいいということだ。ちょっとだけ、頭の中でビギンの伴奏を付けて見る。ふむ、悪くない。これで行こうか、と思ったが、この曲がどんな性格の曲なのか考えてみた。
 この曲の成り立ちには有名なエピソードがあるので、簡単に紹介しよう。(詳しく知りたい方は、ネットで調べてね。)この曲は昭和20年の暮れ、戦地から復員(*1)する兵士たちを励ます番組(当時はラジオしかありません)のために、海沼実がNHKから作曲を依頼されたものである。それが放送日の一週間前。
 海沼は詩先(*2)の作曲家なので、急いで詩を探した。そして斉藤信夫の「星月夜」という4連の詩を見つけ、これで行けると確信したものの、後半2連が軍国調でうまくない。急いで斎藤を呼び出して後半を作り変えてほしいと依頼した。斉藤はそんなの簡単、と軽く請け合ったが、いざ作ろうとして全く作れない。とにかく原作は軍国主義、頼まれたのは民主主義。発想の転換ができずに苦悶しているうちに日時が過ぎ、とうとう放送日の前夜となってしまった。やっとのことで1連だけ詩を作り、放送日の朝NHKで待機している海沼の所へ届けた。歌は、戦地から復員してくる父親の無事を祈る少女の純真な思いを歌った物になっていた。海沼はすぐさま少女歌手の川田正子(*3)に練習させて放送に臨んだ。当時は全て生放送。川田正子が歌い終わった時、スタジオ内は粛然とした雰囲気に包まれ、しばらく言葉を発する者がなかったという。
 この歌の反響はすざまじい物で、放送直後から電話が鳴りどおし。「この歌の譜面は売っているのか、どこで手に入るのか」という問い合わせが殺到した。(当時はまだレコードが普及しておらず、気に入った歌は譜面を買ってオルガンで歌う、というのが一般的だったんです。)
 さて、こうしたいきさつを持つこの歌を表現するのに、ビギンではちょっと軽すぎるか。ここは端正なリズムを刻むべきだろう。今度の練習の時にいろいろ試してみよう。

*1 復員  兵が兵役を解かれ民間人に復帰すること。⇔ 動員 「復員船」とは復員した兵士を運んだ帰国船のこと。民間人が帰国する船は「引き上げ船」
*2 詩先  詩が先にあり、それに曲を付ける事。「曲先」は先にできている曲に詩を付ける事。加山 雄三の曲が代表的。
*3 川田正子 音羽ゆりかご会の少女歌手。海沼は、音羽ゆりかご会の主催者。
  


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2015年10月16日

高橋長老の御教書 徒然編1

              ありがたいお話であるから正座して読むよ~に

徒然編1 長老定演に出演する

 愛好会の定演の日、長老は身寄りの人に車で送ってもらった。会場のAOIには指定された時刻より15分ほど早く着きそうである。「これだけ早く来る会員はそうはあるまい」と自分のやる気を自慢しようとした師だったが、AOIの搬入口には、すでに多くの会員たちが集まっていた。自分よりやる気のある会員がこれだけ多くいるとわかり、師の目論見は瞬時に頓挫した。
 軽い失望感を抱いた長老だが、そのような雰囲気を微塵も見せるような師ではない。何気なく集団の中に入り、かねて用意のカメラで周囲の状況を撮影した。写真を撮る深い理由は何もない。何もせずにいるのが退屈なので、写真を撮っているだけである。
 待つ事しばし入館の時になって、実行委員から「ギターとセロの人は、パーカッションの道具を持って入るように」と指示が出された。ギターを抱えて荷物を運ぶのは体力的に無理があると抗議の声を上げたい師であるが、生来の気の弱さから何も言えず、言われるがままに荷物を運びこむのだった。「長老はやらなくてもいいですよ」との言葉を掛けられたが「では」と止めれば「やはり長老はもう寄る年波には勝てないのね」言われるに違いない。見栄張りの師にはそれは耐え難いことなのだ。
 リハーサルを始める前に、舞台に山台を組み、椅子や譜面台を並べる作業がある。ぎっくり腰の前科のある師は、軽い仕事を選びたいところである。しかし、大勢の男子がきびきびと動いているので、師も動かざるを得ない。やってみると、山台の板を運ぶのも、椅子を運び譜面台を並べるのも、体力的にはたいして変わらないのである。大勢でやったので、さほど体力を使わずに済んだようだ。「まだまだ私もお役に立てる」と師も安堵の心地であった。
 リハーサルは、予定通り始まった。曲の仕上がりに不安を持つ師は、リハーサルの練習で挽回を図るつもりである。1部の曲は、まずまず仕上がったようだ。2部も、前日の練習でだいぶ進歩した感じを得て、これもまずまずと納得顔であった。問題は3部の曲にあり、前日弾けていた箇所がリハーサルでは弾けないのである。焦った師は、昼食もそこそこに楽器を出して運指の確認を始めた。しかし、集中力に欠ける師はすぐにやる気を失い、「すべては天命に委ねよう」と練習を放棄して会員のたむろするロビーに出て行くのであった。
 いよいよ本番である。1部では弾けないところはやはり弾くことができず、弾けるところは弾けたので、師としては予定通りの出来であった。全体の出来がどうであったか、などと言うことは、余裕のない師には全く掴むことができず、曲が終わったことにただホッとしているだけである。
 2部の出来は、リハーサルの時より悪かったが、それも想定の範囲内で収まったので、師は、さほど落ち込むことはなかった。しかし、3部の出来は厳しいものだった。リハで弾けていた箇所でタイミングを外して見失う、そんなところが何か所も続出したのである。弾けなかったので間違った音は出ていない。しかし、これまで練習をしてきた苦労は何だったのか。「天命がこれほど厳しいものとは」と師は嘆いた。他の会員から「リハで完璧に弾けるときは、本番では弾けないものなんですよ」と慰められても心の痛手は消えるものではない。とはいえ、天性忘れっぽい性格である。楽器を仕舞う時点で既に心に痛みなど無くなっていたのである。
 師が舞台の撤収をすませてロビーに出てみると、「長老」と呼ぶ声がした。そこには、斉藤氏とその横に藤沢市から来てくれた田村夫妻がいる。また、市川夫妻も顔を見せた。いずれの夫婦も会員同士で結婚した愛好会OBである。すると「あそこにいるのは佐野君じゃないか」と斉藤氏が佐野氏を呼び寄せた。近くに佐野夫人もいたので、愛好会会員同士の夫婦が同時に3組そろった。いずれも愛好会初期の仲間であり、星霜を経たその容姿は、禿頭白髪の風体である。年長の師の方がちょっと若く見える気分がして、軽く満足感を覚えた長老であった。久しぶりの顔合わせで話が尽きない。しかし、撤収の時刻が迫っている。名残を惜しみつつ、来年の再会を約しての別れとなった。
 愛好会第41回定演はかくして終了し、師は「申し訳ないが」と打上げには参加せず、早々に帰宅した。家には、半年ぶりに里帰りした娘夫婦と孫が待っている。打上げよりも孫の顔を見たい師の心根は、会員の理解を得ることができるのか。

漢字の読み方
禿頭  とくとう
  


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2015年01月07日

高橋長老の御教書 資料編3

             ありがたいお話であるから正座して読むよ~に

資料編3 27回目の定演

「27回目の定演」は、2004年第30回定演のプログラム用に依頼されたものである。しかしプログラムには、紙面の関係で少し簡略化して掲載された。ちょっと残念な気分があったので、今回は原文のまま紹介する。

 27回目の定演 
       
 愛好会も30回目の定演を迎えた。私にとっては27回目で、長老の別称も名乗ることができるようになった。こんなに長く愛好会に居座ることができたとはと、少しばかり感慨を感じるものがある。もちろん長く続けられたことには理由がある。そのあたりの周辺をいくつか紹介しよう。
理由1 愛好会がつぶれなかったこと
 私が愛好会に在籍できたのは、愛好会が存続したことが一番の要因である。(愛好会がつぶれたら、居座ることもできなかったはずだ。)
 今でこそ会員が30名余を数える大きな会となったのだが、これまで何回か消滅の危機を乗り越えてきたのだ。例会の練習に5人しか集まらず、お茶を飲みながら「どうしたら会員を増やすことができるか」話し合ったことがあった。そのときの結論は「自分たちの子供を育てて、愛好会に入れる外はない」というものだった。
 それから20年、その時の言葉を実行できたのは、たった1名の会員だけである。私も努力してみたのだが、親の苦闘する姿におじけづいたのか、子供は言うことをきいてくれなかった。(親の高尚な芸を理解できないとは情けないことだ。)
理由2 私がお気軽な会員だったこと
 私は中途で入会したこともあり、あまり積極的に会の運営に携わらなかった。いやなこと、苦しそうなことはすべて他の会員に押し付けてきた。それゆえ、愛好会のおいしいところだけを享受してきたのだが、私以外の会員は、志が高く、進んで困難に立ち向かう尊敬すべき若者ばかりで、些細なことは大目に見てもらえたのだ。(年長者を大切にする美風もあった。)
 例えば、新会員勧誘のため、会員が某大学のマンドリンコンサートの受付近くでチラシを撒くことになったことがある。
「それでは、皆さん、がんばりましょう!」「オー!」「オー!」「オー!」
「…あの~…私、その日はちょっと~………」
 とはいえ、私が何もしなかったわけではない。シーズンオフに、老人ホームへの慰問演奏会を提案し手配もしたものだ。リクエストに応えて、お年寄りの歌に合わせて演奏をするカラオケ演奏は、特に人気があった。
「おじいさん、歌いたい歌がありますか。影を慕いてとか、落ち葉しぐれとか」
「ダンシングオールナイトをやってくれ」
「…………」
理由3 愛好会の愛にあふれた気風
 私は、ギターの才能に乏しく、時間的な余裕もなく(体力を蓄えるために食事をしたりテレビを見たり昼寝をしなければならない。)家庭的にも不幸で(花に水をやれとか、部屋を片付けろ、といった妻の要求に苦しめられている。)加えて練習をしようという意欲に恵まれないこともあって、与えられた楽譜を十分に弾きこなせないことが多い。そのような不本意な状況で練習に参加しなければならないことは、まことに遺憾である。
 しかし、愛にあふれた愛好会の諸兄諸姉は「長老にしては音が出ているほうだ」「どうせ本番では弾くフリをするはずだ」と理解と尊敬の念を示してくれるのである。このような居心地のよい雰囲気にくるまれて、私は27年も愛好会を続けることができた。時には冷たい視線を感じることもあるが、多分気のせいだろう。愛好会には、寛容で愛にあふれた会員しかいないはずだ。美しい心根を表出した美男美女ばかりということが、そのことを証明している。
 以上のような理由で、これからもずっと居座ることが許される状況にはあるのだが、私は薄幸薄命の運命(さだめ)の下にあり、これから参加できる定演は50回くらいしかないのが残念である。
  


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2014年12月25日

高橋長老の御教書 資料編2

             ありがたいお話であるから正座して読むよ~に

資料編 2 本阿彌沙矢香の部屋

 「本阿彌沙矢香の部屋」は、2002年5月から、会報「きゃあほう」に連載したものである。辛口のコラムで、文字数は400字程度との注文だった。今読みかえしてみると、現場を体験した会員には理解できても、最近の会員には理解しがたい部分があると思われる。とはいえ、当時を知らない人でも、なんとなく時代の雰囲気が感じられるのではないか。

 1 マンドリンフェスティバル
 ど~も、4年ぶりの沙矢香でございます。今回は佐野編集長から「特別枠を作るから是非に」との事で御目文字することになりましたの、よろしく。
 先日、静岡マンドリンフェスティバル(*1)を拝見させていただきました。皆様、以前に比べ、ずいぶん上達なさっていて驚きましたわ。フェスティバルは、マンドリン仲間の交流というのが主目的ですから、演奏自体にはあまり期待しておりませんでしたの。ま、それはそれで結構なこと、でも、皆様同じような演奏ばかりで少々退屈いたしましたことよ。こうした演奏会では、各団体のカラーをもっとアピールして欲しかったですわ。私、コースの料理には飽き飽きしてますの。次はもっとアバンチュールを味あわせてくださいませね。
注1 2002.4.14 第7回県マンフェス。合同ステージの指揮者は高名な堀俊輔氏。

 2 W杯(*2)
 日本代表の健闘には私も胸が熱くなりましたわ。これほどまでやってくれるとは、正直なところ思いもよりませんでしたの。TV中継などでは、さすがに岡田前監督の解説は、目から鱗といったものがありましたわね。
 でも民放のスタジオにウロウロしていた女の子は、なんなんでしょう。「フランスが負けてショックなの」「ベッカム様、すてき」なんて、W杯を芸能人の運動会と勘違いしてませんこと。それまで一度もサッカーを見たことも無いような無知ぶりからして、どうせ民放局の阿呆プロデューサーの人選なんでしょうけど、あれでは、サッカーのすばらしさを楽しむファンや、悪役にされたセネガルやデンマークなどの国々を侮辱しておりますわ。国際問題にならないようご注意あそばせ。
注2 2002年日韓ワールドカップ

 3 ノーベル賞
 驚きましたわ、今年のノーベル賞で、日本から2人(*3)も受賞者が出るなんて。特に田中さんの受賞は良かったですわね。サラリーマンがノーベル賞をもらえるとは、思いもよりませんでしたもの。会社の仕事でも、いい結果を出せば、ノーベル賞がもらえるって、すばらしいことですわ。会員にも理系の方がいらっしゃるけど、皆様もノーベル賞が貰える可能性があるということですから、頑張ってくださいましね。
 あら、文系の方だって望みを捨てることはありませんわ。平和賞なんて、佐藤栄作氏のことを考えれば、何が受賞の基準なのか、まったくわかりませんですし、文学賞もチャーチルが回想録だけで貰っておりますわ。金正日さんとお話をしたり、エッセーを一冊世に出せば、十分ノーベル賞の「候補者」になれますことよ。
注3 田中耕一氏、小柴昌俊氏

4 NHK紅白
 大晦日の夜、久しぶりで紅白を見ましたわ。なんと言っても中島みゆきが出演するということですから、見逃すわけにはいきませんもの。NHKもやっとのことで担ぎ出すことに成功しましたわね。紅白の人気が低迷したのはみゆきをはじめ拓郎とか井上 陽水・ユーミンといった人気歌手からボイコットされたのが原因ですから、NHKも何とかしたかったのでしょうね。
 紅白は最初のうちは聞いたこともない若い歌手が出て退屈でした。どんな基準で出演者を選んだのでしょうね。とても日本を代表する歌手とは思えませんでしたわ。ベテラン歌手も昔の歌でお茶を濁す人が多くて、「まだ生きていたの」言いたくなりましたことよ。見た所やはりみゆきが断然光って見えたのは、わたくしのひいき目ばかりとは思えませんわ。
 NHKも頑張って、来年は拓郎や陽水・ユーミンを出場させてほしいものですわね。時代は変わっているんですもの、できないことはないはずですわ。
  


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2014年12月08日

高橋長老の御教書 資料編 1

             ありがたいお話であるから正座して読むよ~に

資料編 1 定演挨拶、23回~29回

 御教書を最初に書いたのは、13年前の2002年の3月である。当時はまだ愛好会のホームページを作ろうと会員たちが努力していた時代で、会員に読んでもらうためにはプリントして配る必要があった。2年間、2か月ごとに4編の御教書を作ったのだが、そのきっかけは、当時私が書いていた定演プログラムの挨拶文を資料として残したいというものだった。
 そのちょっとふざけた文体の挨拶文は、代表の薫さんも扱いに困ったのではないかと思う。しかし、私にとっては会心の作で、後代の会員の記憶に是非残してもらいたいという思いがあった。でも、ただそれだけではただの資料にしかならない。そこで、いくつかエッセーのようなものを付け加え、御教書として会員に読んでもらうことにしたのである。
 それから10余年、愛好会は当時の事を知らない新しい会員が多数派となった。そこで改めて、私が手掛けた定演挨拶がどんなものであったか、皆さんに紹介したい。

第23回 定演 1997
 なになに。世間で大評判になっている「マンドリン愛好会」の名演奏を聞かせてくれとな。
 フム、なかなかいいセンスをしておるの。よろしい、聞かせて進ぜよう。我々は、がまん強いのだ。これまでも一番前の席で居眠りをされても、子供がさわごうとも、ひたすらマンドリン音楽の素晴らしさを諸君らに伝えようと心血を注いで来ておる。君達のような初心者に対しても、決して手を抜くようなことはせん。
 我々の演奏を聞けば、ロックや管弦楽とは隔絶した全く異次元の世界に驚嘆するにちがいない。これまでマンドリン音楽を知らなかったことを涙ながらに後悔することうけあいだな。
 これから始まる玄妙にして摩訶不思議な、めくるめく至福の時を体験したからには、君達はマンドリン音楽の虜となり、決して逃れられないだろう。
 そ~ら、胸がわくわくしてこないかね。それでは今宵のコンサートを心ゆくまで味わうが良い。

第24回 定演 1998
 皆様へひと言        本阿彌 沙矢香
 驚きましたことよ。おこがましくも、わたくしに「マンドリン愛好会」の紹介をせよなどと、言われた時には。でも、時代の流行に惑わされずに価値あるものを見抜ける人は、この沙矢香しかいないとおっしゃられては引き受けざるを得ないですわね。
 わたくし、前回のコンサートを拝見いたしまして、アマチュアの演奏としては少々侮れないものを感じましたし、会員の似顔絵からもいろいろな社会人がマンドリン音楽という縁で交流なさっていることに、ちょっぴりうらやましさも覚えましたのよ。いいですわね、庶民の方々にはこうした楽しみがありますのね。
 皆さんもお気付きのように、今年のプログラムには、愛好会には少々荷の重い曲も入っておりますわ。身の程をわきまえずに冒険をするのも愛好会の伝統のようですわね。どんな演奏になるのでしょう…。楽しみにいたしましょうね。オーッホッホッホ!

第25回 定演 1999.9.25
 おっと君達、「マンドリン愛好会」の演奏会に来てくれたのかい。うれしいね。だれかお目当ての人でもいるのかい。え、あのコンマス!そうかそうか、凄いテクニックだからね。まあ、聞いてごらん。どんな難しい曲でも鼻歌まじりさ。でもね、他の人だって頑張っているんだぜ。まあ、中には若干おんぶしてもらっている人もいるけどさ。誰?ん、突っ込まないでよ。
 だけど君達、マンドリン音楽を聞くなんて、いい趣味してるね。マンドリンってマイナーだけどさ、そこに目が行くなんて見上げたもんだよ。え、友達に誘われて……ムム、そうかい。いい友達は大切にしたいね。新しい世界を見つけるって、そんなちょっとした機会から生まれるものなんだな。
 今年のコンサートも難曲あり楽しい曲ありで、きっと聞き応えがあるはずさ。特に最後の曲は要チェックだからね。期待してくれたまえ。

第26回 定演 2000.10.21
 ハーイ、今晩は。一年ぶりね。愛好会のコンサートで会えるなんてうれしいわ。
 ほら、ちょっと見て。あそこの子、カワイイーじゃない。まだ現役の学生さんなの。若い人がいるって雰囲気が華やいで楽しくなっちゃうでしょ。
 え、トウの立っている人もいる? あ~ら気の毒。でもあのオジさんも気持ちは若くて面白い人なのよ。他にもおとぼけの人もいるし、鬼が島の番人みたいだけど、シャイで、気が小さくて、ガラス細工みたいな人もいるし…、いろんなギョーカイの人がいて、未知の世界が覗けたりしてね、なかなかにぎやかだし刺激的なのよ。
 今年はね、ちょっとテクニックの難しい曲があるの。去年のコンサートよりも難しくって泣けちゃったけど。でも、そういった曲にチャレンジして弾けた時って、何か新しい世界に踏み込んだような高揚感があるものね。きっと聞いている人も聞きごたえがあるんじゃないかしら。それじゃ、頑張って弾くからね、どんな演奏になるか楽しみにしてね。

第27回 定演 2001.9.29
 どうも、今晩は。いや~、私どもの演奏会にこんなにたくさんの皆様がお越しくださるとは、うれしいことですな。
 私どもはこの演奏会のために6月頃から練習を始めておりますがな、やれ残業が続く、家族や自分の具合が悪い、てなことがありまして、そろって練習することがなかなか難しい。それでも好きな人ばかりですから「コソ練」(家族に気付かれない様にこっそり練習すること)をして何とか皆に追いついた人もおりましたようで。
 まあ、愛好会はおおらかな雰囲気ですから、一人前に弾けなくても、一人前に弾いているフリができれば他の人がカバーしてくれます。私なんぞも、毎年大いに感謝しておりますよ。ひょっとして指揮者が一生懸命振っているのに、音が聞こえないぞ?と感じた時は、全員が弾いているフリをしているところではないでしょうか。(指揮者が振っていないところはとは違います。念のため。)
 昨年、愛好会は東京の練馬文化センターでビアンカ・フィオーリとジョイントコンサートてなことを行いました。社会人のマンドリン活動が広がってくるようで嬉しいことでしたな。本日の演奏会もたくさんの方のお手伝いをいただいておりますが、これからも皆さんのご理解を深め、マンドリンの輪がいっそう広まるよう努めて参りたいと思っております。
 それでは、今晩の演奏会をごゆるりとお楽しみ下さいませ。

第28回 定演 2002.10.12
 会員二十面相からあいさつ
 ホホー、やっと「愛好会」の演奏会に来てくれたね、小林君。ま、みけんに皺を寄せてばかりいないで、心地よい音楽に浸るゆとりが、かえって謎を解くヒントにつながるものさ。特にマンドリン音楽は歯切れがよくて活動的だから脳の働きを良くするにはもってこいなんだな。
 わが輩が奇想天外なトリックを思いつくのも、実は、わが輩がいつも愛好会で楽器を弾いているからなんだよ。フフフ…どうだい、驚いたかね、小林君。プログラムの中の「かわら版」をじっくり眺めて、わが輩が誰に変装しているか当ててみたまえ。だが、推理に気を取られて、わが輩らが奏でる名演奏を聞き逃さないでくれたまえよ。
 それはそれとして、素晴らしい雰囲気の中で良き友と良き音楽を聞く、人生これに勝る至福はないのだな。帰ったら今夜の感激を明智君や少年探偵団の諸君にもぜひ伝えてもらいたいね。次回、君達の仲間が大勢やってくることを期待しているよ。そら、開幕のベルが鳴っている。わが輩も出演の用意をしなくては…。では、今宵の演奏会を大いに楽しみたまえ。

第29回 定演 2003
 こんばんは、いらっしゃいませ。愛好会のマンドリンの夕べも、今年で29回目ですけども、いつもいつもご贔屓にしていただいて、嬉しゅうございますわ。
 あら、今夜はまた可愛らしいお嬢様とご一緒に…ご自慢のお嬢様でいらっしゃいましょう?えっ、私のような美人にしたい……まぁ、おほほ…ご冗談がお上手でいらっしゃいますこと。本当に皆様のような素敵な方ばかりおいでいただきまして、私どもも光栄でございます。
 愛好会は、この3月にビアンカ・フィオーリとのジョイントコンサートを行いましたけど、マンドリン音楽の交流の輪がすっと広がったような感じがいたしましたわ。今夜のコンサートにも県内外の団体のメンバーに賛助出演をお願いしておりますの。こうしてマンドリンを通じて、たくさんの人達と交流できるのは、本当にいいことだと思っております。私たちも大変刺激になりますもの。
 ところで愛好会も若い会員が入ってきまして、ずいぶん雰囲気が変わってまいりましたわ。特に今晩デビューする指揮者には注目してくださいませね。皆様もきっと新鮮な印象を受けると思いますの。では、お・た・の・し・み・に。

  


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2014年10月09日

高橋長老の御教書 新編48

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新編48 黒メガネ

 定演の二部で、急遽黒メガネをかけることになった。「スパイ大作戦のテーマ」と、「ゴッドファーザーの愛のテーマ」の演出である。我々は黒シャツなので、それに黒メガネをかけると、あたかもスパイとかギャングの雰囲気が出そうだ。私もスパイのようにかっこいいキャラに変身できるかなと、ちょっと期待が高まった。
 家で黒メガネを探すと、妻が赤黒縁の黒メガネを取り出した。
「私のものだけど、これでいいかしら」
「どれどれ、まあ、これなら男物と女物との区別もないだろう」
「大きさはどう?」
「ちょっと試してみる」と眼鏡をかけてみたが、特に支障はない。
「どうだい、スパイみたいに見えるかい」
「 …… 何か按摩さんみたい」
(心の動揺を隠して)「う~ん、そうか」と口ごもる。
 確かに私のような貧相な中高年(老年とは言いたくない)が黒メガネをかけても、威圧感が出ない。スパイに見せるには、もっと顔が引き締まり、鋭い眼光を感じさせる表情が必要なのだ。古希を過ぎた私にはちょっと無理かもしれない。しかし、「按摩のようだ」と言われてもメゲるわけにはいかない。私も演奏者として舞台に上るのだ。出来る出来ないは別にして、顔の筋肉を鍛えて、当日までにスパイのような顔に作り変える努力をしなくてはなるまい。
 そうこうしている内に演奏会と当日となった。私の顔面改造は、やはり短期間の努力では無理であった。生まれつきの気弱そうな表情は、小手先の細工ではどうやっても払拭できないのだ。こうなったら、なるべく目立たない格好で、その他大勢の中に紛れ込むしかない。
やがて二部のリハーサルとなり、黒メガネをかけるタイミングなどを確かめた。しかし、座っている席からは黒メガネをかけて演奏している効果がつかめない。何人かの黒メガネ姿は見えるのだが、黒メガネをかけても、いつもの微温的な凡人の印象はそのままだ。ひょっとしたら、観客からは按摩さん達の合奏に見えてしまうのではないか。こうなるとアンケートの感想が気になる。
 演奏会は何とか無事に終わり、反省会の日が来た。アンケートにどんな感想が書かれているのか、二部の箇所は特に念入りに目を通した。その数からいうと、お客さんは、私が気にしたほど黒メガネの効果を感じなかったようだ。とはいえ「面白い」とか「効果的」という感想がいくつかあって、総じていえば好評である。特に「T内さん、かっこいい」という評が二つもあったことは驚きだった。あの白い髭に黒い眼鏡が合っていたのだろうか。(それとも禿げた頭と黒メガネが合っていたのか)いずれにせよ、うらやましい限りである。
 それに引き換え、私の事は誰も書いてない。妻に「僕の黒メガネスタイルはどうだった」と訊いても「別に~」という熱のない返答だ。まあ、多少とも顔面改造の努力が実って「按摩のようだった」と言われないだけ良しとしよう。気になるのは、アンケートの中に「笑える」と書いたものがあったことだ。誰が、どういう状況を見て書いたのか分からないが、それが私の事でないことを祈るのみである。

漢字の読み方
払拭   ふっしょく
  


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2014年09月25日

高橋長老の御教書 新編47

             ありがたいお話であるから正座して読むよ~に

新編47 愛好会の記事

 先日(9月20日)の練習の時、静岡新聞の記者が来て練習風景を取材していった。その翌日の静岡新聞朝刊に、その時の練習風景の写真と共に、定演を控えて猛練習をしている旨の記事が掲載された。例年の事ながらありがたいことである。無料でこれだけのPRをしてくれたのだから、何も文句は言えない。しかし、敢えて私の心に引っ掛かったことを言わせてほしい。
 その一つは、写真に思いがけなく私の顔が写っていたことだ。丁度この時、私は前の人の背中で指揮者の手元が見えなくなり、指揮棒を見るために顔を横に出した瞬間なのである。しかし、この姿は、見様によってはカメラマンの様子を覗いている軽薄な野次馬のような印象を与えてしまう。問題なのは、長老ならそんなことをやりかねない、という偏見を持つ会員がいることなのだ。取材した記者は、他にもたくさん写真を撮っていた。なのに、よりによってこの写真を使われるとは、よくよくの不運である。
 二つ目は、愛好会の魅力がちょっと伝わってこないことである。愛好会には、さまざまな魅力がある。例えば、愛好会は名人芸を持った美男美女の集まりだとか、明るく開放的な雰囲気で、みんなが幸せそうだとか、若者から熟年まで幅広い年齢層の会員がいるといったことである。この記事を読んで、愛好会に興味を持ったり、入会してみようかと心が動く人もいるはずだ。限られた紙面では言い尽くせなかったのかもしれないが、「古希を過ぎた会員もいる」程度の事は、写真を小さくしてでも書いてほしかった。
 次の練習の時、この記事についての感想を会員に聞いてみた。
「日曜日の静岡新聞に、愛好会の記事が載っていたけど、見たかい?」
「そうそう、なかなかいい写真だったね」
「そうかな。あれよりもう少しいい写真があるはずなんだけど…」
「そういえば、長老の顔も写っていたな~。長老らしい表情だったよ」
「目が引き締まって、ニヒルな感じが出ていただろう」
「…ニヒルかい?いや、もっと軽い感じだった気かがするけど。でもしっかり指揮者を見ていたじゃないか。みんなも真剣な表情だった」
 なかなか好意的な意見だ。この分では心配ない。しかし、念のため、別の人にも聞いてみよう。
「日曜日の静新に愛好会の写真が載っていたね」
「見ましたよ。S木さんがばっちり写っていましたね。」とAさん。
「長老も後ろから顔をのぞかせていましたね」とBさん。
「指揮者を見ようとしたら、カメラと鉢合わせしたんだ」
「長老、Vサインしてませんでしたか」とCさん。
「そんなことするわけないじゃないか!! 視線はちゃんと指揮者に向けてたよ」
 何てことを言うんだ、まったく。こういう手合いがいるから油断ができないのだ。うかうかすると、先に述べた懸念が発生しかねない。聞いた限り、記事や写真をしっかりと見ていた会員が少ないのが心配である。彼女らには、もう一度心して写真を確認するよう促しておいた。
  


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2014年09月05日

高橋長老の御教書 新編46

             ありがたいお話であるから正座して読むよ~に

新編46 旧友再会

 今回の定演は、第40回の記念演奏会ということで、かつて我々と一緒に演奏した仲間に参加を呼びかけた。過日行われたOB参加練習には、呼びかけに応じて懐かしい顔が何人か参加してくれた。ギターパートに来てくれたのは、ネオナートマンドリンのМ村さんで,10余年ぶりの再会となる。まさに旧友再会。
 旧友と再会して、その心情を歌った詩といえば、杜甫の「江南にて李亀年に逢う」を思い出す。

岐王の宅裏にて尋常に見し   あの頃、岐王様のサロンではしょっちゅう逢っていたね
崔九の堂前にて幾度か聞きし  崔九様の園遊会では何度も君のテノールを聞いたよ
正に是江南の好風景      今、ここは都を遠く離れた江南の好風景
落花の時節 又君に逢う    リラの花散る宵の宴に、又君の歌声を聞けるとは

 今回の再会を、杜甫風に当てはめると
あの頃、愛好会のギターパートは僕と君の2人きりだった。
演奏会ではいつも君の名人芸に感嘆したものだった。
あれから10余年、愛好会の会員はその頃の三倍に大きくなった。
今、AOIの華麗なホールで、又君と一緒にギターを弾くことができるとは。
 という感慨が浮かんでくる。

 旧友再会の歌といえば、吉田拓郎の「旧友再会フォーエバーヤング」も世に知られた名曲だろう。

結婚して10年になり、子供に追われる暮らしの中で
男の夢だけは捨てきれません。
目の前のマッターホルンがまだなのです。
ずいぶん歩いてきたようで、夢につまづいた日々に追われる フォーエバーヤング

 この歌は、友との再会の喜びを歌うというより、相手に自分の愚痴を言っている内容に聞こえる。まあ、マッターホルンの夢を放棄してしまった凡人のわが身にとっては、こちらの方が身につまされる内容ではある。
 10余年前、М村さんは結婚して愛好会の練習には足が遠のいてしまった。お目出度いことだからこれもやむを得ない。今回、2人のお子様の子育ても一段落して、OBとして参加する余裕ができたようだ。(マッターホルンにも登頂したに違いない。)
 ギターの腕は相変わらず健在で、練習時のギターの音は、私のギターの3倍はある。小柄な体からどうしてこんなパワーが出るのだろう。やっぱり彼にはかなわない。
 とはいえ、10余年の歳月を経ると、彼も昔のような若者のままではいられない。彼の頭のてっぺんをチラリと見た時、なんとなく「勝った」と感じてしまった。理由はないけれど…。

漢字の読み方
李亀年  りきねん   玄宗皇帝にも気に入られた当時の人気歌手
岐王   きおう    唐王朝の親王家の一つ
崔九   さいきゅう  当時の貴族の一人
江南   こうなん   杜甫も李亀年も安禄山の乱を逃れて長安を脱出し、長い放浪の末、思いがけなく江南で再会する。
  


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2014年08月03日

高橋長老の御教書 新編45

            ありがたいお話であるから正座して読むよ~に

新編45 車で送る

「長老、車で送っていただけません?」と声がかかった。見るとベテランの女性会員が3人こちらを見ている。練習が終わって帰宅しようとしている時だった。
「いいですよ」
 これまでも何度か彼女たちを送って行ったことがある。帰り道も分かっていて、たいして遠回りでもない。
「わあ、助かった。いつも送って下さるNさんが、ちょっと都合が悪くなって困っていたんです」
「どうぞ、乗ってください」
 私の車は小型のヴィッツで、大人が4人乗るといっぱいだ。楽器は各々の膝に抱えてもらう。
 私は、退職して以来、社会的つながりが無くなり、外部の人と口をきくことが極端に減ってしまった。日常の会話は、ほとんどすべてが妻との会話である。会話といっても、大部分は私に対する叱責と、それへのいいわけであるけれど…。それでも会話による緊張感は生活の節度を形作ってくれている。ところが、たまに妻が娘の手伝いに出かけると、私に話しかけてくれる相手がいなくなる。そんな時は、ほとんど一日中誰とも口を利かずに過ごすことになる。あったとしても、スーパーのレジ嬢と口をきく程度だ。
「○○円になります。袋はお持ちですか」
「持っているよ」
「ありがとうございました」
 これが、その日の会話のすべてなのだ。いくら私が孤独に強いとはいえ、この状況では孤影蕭然の思いは避けられない。しかも、友人は少なく家も遠い。もともと寡黙な質であるから、電話で長話という芸当は無理なのである。
 こんな事情であるから、愛好会の練習日は、私にとって貴重な社交の場なのだ。練習の合間とか、練習後の束の間の雑談、この間だけは私も社会的人間となる。車での送迎も、会員との社交を強化するチャンスである。これまで、いろいろな会員を車で送ってきた。Kさん、Uちゃん、М君などなど。普段、口をきいてもらえない若い人たちと親しく対話できるのは、こんな時しかない。内気な私としては、数少ないチャンスだった。もっとも、彼らとしては、世代の違う私と話を合わせるのは大変だったろう。
 今回は、比較的私と年代が近く、付き合いも長いので、会話には事欠かない。ベテランが相手では、刺激的な展開にならないのはやむを得ない。とりとめのない話ばかりだが、私にとっては貴重な時間だ。中身が無いなんてことは、問題ではない。
 ところで、会員の中で、これぞと思う相手と近づきになりたいと願っている彼(女)はいないだろうか。そんな時は「車で送ろうか」と持ちかけるのが一番だ。もしくは「車で送って下さらない?」と頼むのもいい。OKを貰えば、前途は開ける。車の中で親交を深め、相手との相性を確かめ合うことができる。この手でこれまで二組の会員が結婚した。送迎の時だけではなく、合宿とか行事での移動とかの機会でもいい。まあ、OKを貰えなくても、口を利くチャンスにはなるはずだ。
 えっ、そんなこと、長老から言われるまでもないって?…失礼いたしました。

漢字の読み方
寡黙な質  かもくなたち
  


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