2014年02月26日
高橋長老の御教書 新編39
ありがたいお話であるから正座して読むよ~に
新編39 感動する心
特別養護老人ホーム「柏尾の里」へ訪問演奏に行ったのは、2月の下旬である。演奏が終わって帰宅すると、妻はテレビでソチオリンピックの実況を見ていた。
「いやあ、感動したな~。お年寄りが我々の演奏を聞いて、涙を流していたよ。音楽の力がこんなに大きいとは…。演奏していた僕らも感動してしまった」
「あら、そんなに素晴らしい演奏だったの?」
「いや、演奏自体はちょっとミスもあって完璧な演奏とはいえなかったけど」
「そう、いつもの演奏だったんだ。でも、お年寄り相手なら、ごまかせるわね」
「何を言うんだ。多少のミスはあっても、我々の熱い思いが相手に伝わって、それが感動を生むんだ」
「ふ~ん、どんな曲を演奏したの?」
「お年寄りでも知っていそうな曲さ。北国の春とか、朧月夜とか。特にみかんの花咲く丘を聞いて『昔を思い出して…』と涙ぐむおばあさんがいたな~」
「そう、よかったわね」と、再びテレビ画面に帰って行く。
妻は、音楽に感動する心がわからないのか。音楽に涙するお年寄りの心に寄り添えないのか。私だって、妻が感動する心を持っていることは知っている。私が妻の感動する場面を見たのは、以前テレビで宝石の値段を紹介していた時だった。
「あのダイヤの首飾り、2億円なんだって!」
高額の物にしか感動を覚えないとは、女心はどういうものなのか。しかも、テレビの中でも、「え~」「すごい」などと感嘆の声が上がっていた。こんな俗物的な感動が世の中にまかり通っているとは、誠に情けない。もっと純粋に、清らかな星の光だとか、情緒あふれる音楽といった物に感動を覚えられないものなのだろうか。
それに、今回の訪問演奏は、ささやかではあるが社会に貢献する活動である。妻にはそこへの理解もないようだ。以前から、妻は、私が単に好きなことをやっているとしか見ていない。確かにギターは私の趣味である。練習だ、合宿だ、定演だ、と家のことをないがしろにして好きなことをやっているように見える。しかし、そのような活動の中でも、常に社会に貢献できることはないかと、考えているのだ。同じ志の人達と力を合わせて、できることはないかと心を砕いているのだ。
今度の演奏にしたって、段取りをしてくれた人、会場の準備をしてくれた人、お年寄りの世話をした人などたくさんの人達の心が支えている。我々だって、午前中に集まってそれなりの練習をしてきた。大勢の人達の善意が集まった演奏なのだ。
暖かい部屋の中で煎餅をかじりながら、テレビを見ているだけで社会貢献ができるわけがない。少しは私を見習ったらどうだ。私は憤然として妻に語りかけた。
「真央ちゃんのメダルは無理みたいだね」
「やっぱり、緊張したのかしら。フリーで頑張ってほしいわね」
会員諸氏もご存じのとおり、真央ちゃんはこの夜、会心の演技をして大きな感動を我々に与えてくれた。妻もこの時は、純粋な心で感動したようだ。
新編39 感動する心
特別養護老人ホーム「柏尾の里」へ訪問演奏に行ったのは、2月の下旬である。演奏が終わって帰宅すると、妻はテレビでソチオリンピックの実況を見ていた。
「いやあ、感動したな~。お年寄りが我々の演奏を聞いて、涙を流していたよ。音楽の力がこんなに大きいとは…。演奏していた僕らも感動してしまった」
「あら、そんなに素晴らしい演奏だったの?」
「いや、演奏自体はちょっとミスもあって完璧な演奏とはいえなかったけど」
「そう、いつもの演奏だったんだ。でも、お年寄り相手なら、ごまかせるわね」
「何を言うんだ。多少のミスはあっても、我々の熱い思いが相手に伝わって、それが感動を生むんだ」
「ふ~ん、どんな曲を演奏したの?」
「お年寄りでも知っていそうな曲さ。北国の春とか、朧月夜とか。特にみかんの花咲く丘を聞いて『昔を思い出して…』と涙ぐむおばあさんがいたな~」
「そう、よかったわね」と、再びテレビ画面に帰って行く。
妻は、音楽に感動する心がわからないのか。音楽に涙するお年寄りの心に寄り添えないのか。私だって、妻が感動する心を持っていることは知っている。私が妻の感動する場面を見たのは、以前テレビで宝石の値段を紹介していた時だった。
「あのダイヤの首飾り、2億円なんだって!」
高額の物にしか感動を覚えないとは、女心はどういうものなのか。しかも、テレビの中でも、「え~」「すごい」などと感嘆の声が上がっていた。こんな俗物的な感動が世の中にまかり通っているとは、誠に情けない。もっと純粋に、清らかな星の光だとか、情緒あふれる音楽といった物に感動を覚えられないものなのだろうか。
それに、今回の訪問演奏は、ささやかではあるが社会に貢献する活動である。妻にはそこへの理解もないようだ。以前から、妻は、私が単に好きなことをやっているとしか見ていない。確かにギターは私の趣味である。練習だ、合宿だ、定演だ、と家のことをないがしろにして好きなことをやっているように見える。しかし、そのような活動の中でも、常に社会に貢献できることはないかと、考えているのだ。同じ志の人達と力を合わせて、できることはないかと心を砕いているのだ。
今度の演奏にしたって、段取りをしてくれた人、会場の準備をしてくれた人、お年寄りの世話をした人などたくさんの人達の心が支えている。我々だって、午前中に集まってそれなりの練習をしてきた。大勢の人達の善意が集まった演奏なのだ。
暖かい部屋の中で煎餅をかじりながら、テレビを見ているだけで社会貢献ができるわけがない。少しは私を見習ったらどうだ。私は憤然として妻に語りかけた。
「真央ちゃんのメダルは無理みたいだね」
「やっぱり、緊張したのかしら。フリーで頑張ってほしいわね」
会員諸氏もご存じのとおり、真央ちゃんはこの夜、会心の演技をして大きな感動を我々に与えてくれた。妻もこの時は、純粋な心で感動したようだ。