2014年09月25日

高橋長老の御教書 新編47

             ありがたいお話であるから正座して読むよ~に

新編47 愛好会の記事

 先日(9月20日)の練習の時、静岡新聞の記者が来て練習風景を取材していった。その翌日の静岡新聞朝刊に、その時の練習風景の写真と共に、定演を控えて猛練習をしている旨の記事が掲載された。例年の事ながらありがたいことである。無料でこれだけのPRをしてくれたのだから、何も文句は言えない。しかし、敢えて私の心に引っ掛かったことを言わせてほしい。
 その一つは、写真に思いがけなく私の顔が写っていたことだ。丁度この時、私は前の人の背中で指揮者の手元が見えなくなり、指揮棒を見るために顔を横に出した瞬間なのである。しかし、この姿は、見様によってはカメラマンの様子を覗いている軽薄な野次馬のような印象を与えてしまう。問題なのは、長老ならそんなことをやりかねない、という偏見を持つ会員がいることなのだ。取材した記者は、他にもたくさん写真を撮っていた。なのに、よりによってこの写真を使われるとは、よくよくの不運である。
 二つ目は、愛好会の魅力がちょっと伝わってこないことである。愛好会には、さまざまな魅力がある。例えば、愛好会は名人芸を持った美男美女の集まりだとか、明るく開放的な雰囲気で、みんなが幸せそうだとか、若者から熟年まで幅広い年齢層の会員がいるといったことである。この記事を読んで、愛好会に興味を持ったり、入会してみようかと心が動く人もいるはずだ。限られた紙面では言い尽くせなかったのかもしれないが、「古希を過ぎた会員もいる」程度の事は、写真を小さくしてでも書いてほしかった。
 次の練習の時、この記事についての感想を会員に聞いてみた。
「日曜日の静岡新聞に、愛好会の記事が載っていたけど、見たかい?」
「そうそう、なかなかいい写真だったね」
「そうかな。あれよりもう少しいい写真があるはずなんだけど…」
「そういえば、長老の顔も写っていたな~。長老らしい表情だったよ」
「目が引き締まって、ニヒルな感じが出ていただろう」
「…ニヒルかい?いや、もっと軽い感じだった気かがするけど。でもしっかり指揮者を見ていたじゃないか。みんなも真剣な表情だった」
 なかなか好意的な意見だ。この分では心配ない。しかし、念のため、別の人にも聞いてみよう。
「日曜日の静新に愛好会の写真が載っていたね」
「見ましたよ。S木さんがばっちり写っていましたね。」とAさん。
「長老も後ろから顔をのぞかせていましたね」とBさん。
「指揮者を見ようとしたら、カメラと鉢合わせしたんだ」
「長老、Vサインしてませんでしたか」とCさん。
「そんなことするわけないじゃないか!! 視線はちゃんと指揮者に向けてたよ」
 何てことを言うんだ、まったく。こういう手合いがいるから油断ができないのだ。うかうかすると、先に述べた懸念が発生しかねない。聞いた限り、記事や写真をしっかりと見ていた会員が少ないのが心配である。彼女らには、もう一度心して写真を確認するよう促しておいた。
  


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2014年09月05日

高橋長老の御教書 新編46

             ありがたいお話であるから正座して読むよ~に

新編46 旧友再会

 今回の定演は、第40回の記念演奏会ということで、かつて我々と一緒に演奏した仲間に参加を呼びかけた。過日行われたOB参加練習には、呼びかけに応じて懐かしい顔が何人か参加してくれた。ギターパートに来てくれたのは、ネオナートマンドリンのМ村さんで,10余年ぶりの再会となる。まさに旧友再会。
 旧友と再会して、その心情を歌った詩といえば、杜甫の「江南にて李亀年に逢う」を思い出す。

岐王の宅裏にて尋常に見し   あの頃、岐王様のサロンではしょっちゅう逢っていたね
崔九の堂前にて幾度か聞きし  崔九様の園遊会では何度も君のテノールを聞いたよ
正に是江南の好風景      今、ここは都を遠く離れた江南の好風景
落花の時節 又君に逢う    リラの花散る宵の宴に、又君の歌声を聞けるとは

 今回の再会を、杜甫風に当てはめると
あの頃、愛好会のギターパートは僕と君の2人きりだった。
演奏会ではいつも君の名人芸に感嘆したものだった。
あれから10余年、愛好会の会員はその頃の三倍に大きくなった。
今、AOIの華麗なホールで、又君と一緒にギターを弾くことができるとは。
 という感慨が浮かんでくる。

 旧友再会の歌といえば、吉田拓郎の「旧友再会フォーエバーヤング」も世に知られた名曲だろう。

結婚して10年になり、子供に追われる暮らしの中で
男の夢だけは捨てきれません。
目の前のマッターホルンがまだなのです。
ずいぶん歩いてきたようで、夢につまづいた日々に追われる フォーエバーヤング

 この歌は、友との再会の喜びを歌うというより、相手に自分の愚痴を言っている内容に聞こえる。まあ、マッターホルンの夢を放棄してしまった凡人のわが身にとっては、こちらの方が身につまされる内容ではある。
 10余年前、М村さんは結婚して愛好会の練習には足が遠のいてしまった。お目出度いことだからこれもやむを得ない。今回、2人のお子様の子育ても一段落して、OBとして参加する余裕ができたようだ。(マッターホルンにも登頂したに違いない。)
 ギターの腕は相変わらず健在で、練習時のギターの音は、私のギターの3倍はある。小柄な体からどうしてこんなパワーが出るのだろう。やっぱり彼にはかなわない。
 とはいえ、10余年の歳月を経ると、彼も昔のような若者のままではいられない。彼の頭のてっぺんをチラリと見た時、なんとなく「勝った」と感じてしまった。理由はないけれど…。

漢字の読み方
李亀年  りきねん   玄宗皇帝にも気に入られた当時の人気歌手
岐王   きおう    唐王朝の親王家の一つ
崔九   さいきゅう  当時の貴族の一人
江南   こうなん   杜甫も李亀年も安禄山の乱を逃れて長安を脱出し、長い放浪の末、思いがけなく江南で再会する。
  


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