2015年10月25日
高橋長老の御教書 徒然編2
ありがたいお話であるから正座して読むよ~に
徒然編2 里の秋
「長老、これ、今度の訪問演奏で使う譜面」
「あっ、ありがとう。何の譜面なのかな」
「里の秋よ」
「そうか、え~と」と譜面を見る。1stマンドリンと2ndマンドリンと3rdマンドリンの譜はあるが、ギターの譜はない。
「えーと、ギターの譜がないんだけど…」
「2ndの下にあります」
「えっ」
よく見ると手書きでDとかGとか書いてある。
「これがそうかい。思いっきり手抜きの譜面だな~」
「お願いします」
「わかった」
とにかく、今回はこれで行くしかない。和音だけの手抜きの譜だが、考えようによっては、どんな伴奏を付けるのか演奏者のセンスに任せる、ということだ。それならば、ビギンでもいいし、ドドンパでもいいということだ。ちょっとだけ、頭の中でビギンの伴奏を付けて見る。ふむ、悪くない。これで行こうか、と思ったが、この曲がどんな性格の曲なのか考えてみた。
この曲の成り立ちには有名なエピソードがあるので、簡単に紹介しよう。(詳しく知りたい方は、ネットで調べてね。)この曲は昭和20年の暮れ、戦地から復員(*1)する兵士たちを励ます番組(当時はラジオしかありません)のために、海沼実がNHKから作曲を依頼されたものである。それが放送日の一週間前。
海沼は詩先(*2)の作曲家なので、急いで詩を探した。そして斉藤信夫の「星月夜」という4連の詩を見つけ、これで行けると確信したものの、後半2連が軍国調でうまくない。急いで斎藤を呼び出して後半を作り変えてほしいと依頼した。斉藤はそんなの簡単、と軽く請け合ったが、いざ作ろうとして全く作れない。とにかく原作は軍国主義、頼まれたのは民主主義。発想の転換ができずに苦悶しているうちに日時が過ぎ、とうとう放送日の前夜となってしまった。やっとのことで1連だけ詩を作り、放送日の朝NHKで待機している海沼の所へ届けた。歌は、戦地から復員してくる父親の無事を祈る少女の純真な思いを歌った物になっていた。海沼はすぐさま少女歌手の川田正子(*3)に練習させて放送に臨んだ。当時は全て生放送。川田正子が歌い終わった時、スタジオ内は粛然とした雰囲気に包まれ、しばらく言葉を発する者がなかったという。
この歌の反響はすざまじい物で、放送直後から電話が鳴りどおし。「この歌の譜面は売っているのか、どこで手に入るのか」という問い合わせが殺到した。(当時はまだレコードが普及しておらず、気に入った歌は譜面を買ってオルガンで歌う、というのが一般的だったんです。)
さて、こうしたいきさつを持つこの歌を表現するのに、ビギンではちょっと軽すぎるか。ここは端正なリズムを刻むべきだろう。今度の練習の時にいろいろ試してみよう。
*1 復員 兵が兵役を解かれ民間人に復帰すること。⇔ 動員 「復員船」とは復員した兵士を運んだ帰国船のこと。民間人が帰国する船は「引き上げ船」
*2 詩先 詩が先にあり、それに曲を付ける事。「曲先」は先にできている曲に詩を付ける事。加山 雄三の曲が代表的。
*3 川田正子 音羽ゆりかご会の少女歌手。海沼は、音羽ゆりかご会の主催者。
徒然編2 里の秋
「長老、これ、今度の訪問演奏で使う譜面」
「あっ、ありがとう。何の譜面なのかな」
「里の秋よ」
「そうか、え~と」と譜面を見る。1stマンドリンと2ndマンドリンと3rdマンドリンの譜はあるが、ギターの譜はない。
「えーと、ギターの譜がないんだけど…」
「2ndの下にあります」
「えっ」
よく見ると手書きでDとかGとか書いてある。
「これがそうかい。思いっきり手抜きの譜面だな~」
「お願いします」
「わかった」
とにかく、今回はこれで行くしかない。和音だけの手抜きの譜だが、考えようによっては、どんな伴奏を付けるのか演奏者のセンスに任せる、ということだ。それならば、ビギンでもいいし、ドドンパでもいいということだ。ちょっとだけ、頭の中でビギンの伴奏を付けて見る。ふむ、悪くない。これで行こうか、と思ったが、この曲がどんな性格の曲なのか考えてみた。
この曲の成り立ちには有名なエピソードがあるので、簡単に紹介しよう。(詳しく知りたい方は、ネットで調べてね。)この曲は昭和20年の暮れ、戦地から復員(*1)する兵士たちを励ます番組(当時はラジオしかありません)のために、海沼実がNHKから作曲を依頼されたものである。それが放送日の一週間前。
海沼は詩先(*2)の作曲家なので、急いで詩を探した。そして斉藤信夫の「星月夜」という4連の詩を見つけ、これで行けると確信したものの、後半2連が軍国調でうまくない。急いで斎藤を呼び出して後半を作り変えてほしいと依頼した。斉藤はそんなの簡単、と軽く請け合ったが、いざ作ろうとして全く作れない。とにかく原作は軍国主義、頼まれたのは民主主義。発想の転換ができずに苦悶しているうちに日時が過ぎ、とうとう放送日の前夜となってしまった。やっとのことで1連だけ詩を作り、放送日の朝NHKで待機している海沼の所へ届けた。歌は、戦地から復員してくる父親の無事を祈る少女の純真な思いを歌った物になっていた。海沼はすぐさま少女歌手の川田正子(*3)に練習させて放送に臨んだ。当時は全て生放送。川田正子が歌い終わった時、スタジオ内は粛然とした雰囲気に包まれ、しばらく言葉を発する者がなかったという。
この歌の反響はすざまじい物で、放送直後から電話が鳴りどおし。「この歌の譜面は売っているのか、どこで手に入るのか」という問い合わせが殺到した。(当時はまだレコードが普及しておらず、気に入った歌は譜面を買ってオルガンで歌う、というのが一般的だったんです。)
さて、こうしたいきさつを持つこの歌を表現するのに、ビギンではちょっと軽すぎるか。ここは端正なリズムを刻むべきだろう。今度の練習の時にいろいろ試してみよう。
*1 復員 兵が兵役を解かれ民間人に復帰すること。⇔ 動員 「復員船」とは復員した兵士を運んだ帰国船のこと。民間人が帰国する船は「引き上げ船」
*2 詩先 詩が先にあり、それに曲を付ける事。「曲先」は先にできている曲に詩を付ける事。加山 雄三の曲が代表的。
*3 川田正子 音羽ゆりかご会の少女歌手。海沼は、音羽ゆりかご会の主催者。
2015年10月16日
高橋長老の御教書 徒然編1
ありがたいお話であるから正座して読むよ~に
徒然編1 長老定演に出演する
愛好会の定演の日、長老は身寄りの人に車で送ってもらった。会場のAOIには指定された時刻より15分ほど早く着きそうである。「これだけ早く来る会員はそうはあるまい」と自分のやる気を自慢しようとした師だったが、AOIの搬入口には、すでに多くの会員たちが集まっていた。自分よりやる気のある会員がこれだけ多くいるとわかり、師の目論見は瞬時に頓挫した。
軽い失望感を抱いた長老だが、そのような雰囲気を微塵も見せるような師ではない。何気なく集団の中に入り、かねて用意のカメラで周囲の状況を撮影した。写真を撮る深い理由は何もない。何もせずにいるのが退屈なので、写真を撮っているだけである。
待つ事しばし入館の時になって、実行委員から「ギターとセロの人は、パーカッションの道具を持って入るように」と指示が出された。ギターを抱えて荷物を運ぶのは体力的に無理があると抗議の声を上げたい師であるが、生来の気の弱さから何も言えず、言われるがままに荷物を運びこむのだった。「長老はやらなくてもいいですよ」との言葉を掛けられたが「では」と止めれば「やはり長老はもう寄る年波には勝てないのね」言われるに違いない。見栄張りの師にはそれは耐え難いことなのだ。
リハーサルを始める前に、舞台に山台を組み、椅子や譜面台を並べる作業がある。ぎっくり腰の前科のある師は、軽い仕事を選びたいところである。しかし、大勢の男子がきびきびと動いているので、師も動かざるを得ない。やってみると、山台の板を運ぶのも、椅子を運び譜面台を並べるのも、体力的にはたいして変わらないのである。大勢でやったので、さほど体力を使わずに済んだようだ。「まだまだ私もお役に立てる」と師も安堵の心地であった。
リハーサルは、予定通り始まった。曲の仕上がりに不安を持つ師は、リハーサルの練習で挽回を図るつもりである。1部の曲は、まずまず仕上がったようだ。2部も、前日の練習でだいぶ進歩した感じを得て、これもまずまずと納得顔であった。問題は3部の曲にあり、前日弾けていた箇所がリハーサルでは弾けないのである。焦った師は、昼食もそこそこに楽器を出して運指の確認を始めた。しかし、集中力に欠ける師はすぐにやる気を失い、「すべては天命に委ねよう」と練習を放棄して会員のたむろするロビーに出て行くのであった。
いよいよ本番である。1部では弾けないところはやはり弾くことができず、弾けるところは弾けたので、師としては予定通りの出来であった。全体の出来がどうであったか、などと言うことは、余裕のない師には全く掴むことができず、曲が終わったことにただホッとしているだけである。
2部の出来は、リハーサルの時より悪かったが、それも想定の範囲内で収まったので、師は、さほど落ち込むことはなかった。しかし、3部の出来は厳しいものだった。リハで弾けていた箇所でタイミングを外して見失う、そんなところが何か所も続出したのである。弾けなかったので間違った音は出ていない。しかし、これまで練習をしてきた苦労は何だったのか。「天命がこれほど厳しいものとは」と師は嘆いた。他の会員から「リハで完璧に弾けるときは、本番では弾けないものなんですよ」と慰められても心の痛手は消えるものではない。とはいえ、天性忘れっぽい性格である。楽器を仕舞う時点で既に心に痛みなど無くなっていたのである。
師が舞台の撤収をすませてロビーに出てみると、「長老」と呼ぶ声がした。そこには、斉藤氏とその横に藤沢市から来てくれた田村夫妻がいる。また、市川夫妻も顔を見せた。いずれの夫婦も会員同士で結婚した愛好会OBである。すると「あそこにいるのは佐野君じゃないか」と斉藤氏が佐野氏を呼び寄せた。近くに佐野夫人もいたので、愛好会会員同士の夫婦が同時に3組そろった。いずれも愛好会初期の仲間であり、星霜を経たその容姿は、禿頭白髪の風体である。年長の師の方がちょっと若く見える気分がして、軽く満足感を覚えた長老であった。久しぶりの顔合わせで話が尽きない。しかし、撤収の時刻が迫っている。名残を惜しみつつ、来年の再会を約しての別れとなった。
愛好会第41回定演はかくして終了し、師は「申し訳ないが」と打上げには参加せず、早々に帰宅した。家には、半年ぶりに里帰りした娘夫婦と孫が待っている。打上げよりも孫の顔を見たい師の心根は、会員の理解を得ることができるのか。
漢字の読み方
禿頭 とくとう
徒然編1 長老定演に出演する
愛好会の定演の日、長老は身寄りの人に車で送ってもらった。会場のAOIには指定された時刻より15分ほど早く着きそうである。「これだけ早く来る会員はそうはあるまい」と自分のやる気を自慢しようとした師だったが、AOIの搬入口には、すでに多くの会員たちが集まっていた。自分よりやる気のある会員がこれだけ多くいるとわかり、師の目論見は瞬時に頓挫した。
軽い失望感を抱いた長老だが、そのような雰囲気を微塵も見せるような師ではない。何気なく集団の中に入り、かねて用意のカメラで周囲の状況を撮影した。写真を撮る深い理由は何もない。何もせずにいるのが退屈なので、写真を撮っているだけである。
待つ事しばし入館の時になって、実行委員から「ギターとセロの人は、パーカッションの道具を持って入るように」と指示が出された。ギターを抱えて荷物を運ぶのは体力的に無理があると抗議の声を上げたい師であるが、生来の気の弱さから何も言えず、言われるがままに荷物を運びこむのだった。「長老はやらなくてもいいですよ」との言葉を掛けられたが「では」と止めれば「やはり長老はもう寄る年波には勝てないのね」言われるに違いない。見栄張りの師にはそれは耐え難いことなのだ。
リハーサルを始める前に、舞台に山台を組み、椅子や譜面台を並べる作業がある。ぎっくり腰の前科のある師は、軽い仕事を選びたいところである。しかし、大勢の男子がきびきびと動いているので、師も動かざるを得ない。やってみると、山台の板を運ぶのも、椅子を運び譜面台を並べるのも、体力的にはたいして変わらないのである。大勢でやったので、さほど体力を使わずに済んだようだ。「まだまだ私もお役に立てる」と師も安堵の心地であった。
リハーサルは、予定通り始まった。曲の仕上がりに不安を持つ師は、リハーサルの練習で挽回を図るつもりである。1部の曲は、まずまず仕上がったようだ。2部も、前日の練習でだいぶ進歩した感じを得て、これもまずまずと納得顔であった。問題は3部の曲にあり、前日弾けていた箇所がリハーサルでは弾けないのである。焦った師は、昼食もそこそこに楽器を出して運指の確認を始めた。しかし、集中力に欠ける師はすぐにやる気を失い、「すべては天命に委ねよう」と練習を放棄して会員のたむろするロビーに出て行くのであった。
いよいよ本番である。1部では弾けないところはやはり弾くことができず、弾けるところは弾けたので、師としては予定通りの出来であった。全体の出来がどうであったか、などと言うことは、余裕のない師には全く掴むことができず、曲が終わったことにただホッとしているだけである。
2部の出来は、リハーサルの時より悪かったが、それも想定の範囲内で収まったので、師は、さほど落ち込むことはなかった。しかし、3部の出来は厳しいものだった。リハで弾けていた箇所でタイミングを外して見失う、そんなところが何か所も続出したのである。弾けなかったので間違った音は出ていない。しかし、これまで練習をしてきた苦労は何だったのか。「天命がこれほど厳しいものとは」と師は嘆いた。他の会員から「リハで完璧に弾けるときは、本番では弾けないものなんですよ」と慰められても心の痛手は消えるものではない。とはいえ、天性忘れっぽい性格である。楽器を仕舞う時点で既に心に痛みなど無くなっていたのである。
師が舞台の撤収をすませてロビーに出てみると、「長老」と呼ぶ声がした。そこには、斉藤氏とその横に藤沢市から来てくれた田村夫妻がいる。また、市川夫妻も顔を見せた。いずれの夫婦も会員同士で結婚した愛好会OBである。すると「あそこにいるのは佐野君じゃないか」と斉藤氏が佐野氏を呼び寄せた。近くに佐野夫人もいたので、愛好会会員同士の夫婦が同時に3組そろった。いずれも愛好会初期の仲間であり、星霜を経たその容姿は、禿頭白髪の風体である。年長の師の方がちょっと若く見える気分がして、軽く満足感を覚えた長老であった。久しぶりの顔合わせで話が尽きない。しかし、撤収の時刻が迫っている。名残を惜しみつつ、来年の再会を約しての別れとなった。
愛好会第41回定演はかくして終了し、師は「申し訳ないが」と打上げには参加せず、早々に帰宅した。家には、半年ぶりに里帰りした娘夫婦と孫が待っている。打上げよりも孫の顔を見たい師の心根は、会員の理解を得ることができるのか。
漢字の読み方
禿頭 とくとう