2015年01月07日

高橋長老の御教書 資料編3

             ありがたいお話であるから正座して読むよ~に

資料編3 27回目の定演

「27回目の定演」は、2004年第30回定演のプログラム用に依頼されたものである。しかしプログラムには、紙面の関係で少し簡略化して掲載された。ちょっと残念な気分があったので、今回は原文のまま紹介する。

 27回目の定演 
       
 愛好会も30回目の定演を迎えた。私にとっては27回目で、長老の別称も名乗ることができるようになった。こんなに長く愛好会に居座ることができたとはと、少しばかり感慨を感じるものがある。もちろん長く続けられたことには理由がある。そのあたりの周辺をいくつか紹介しよう。
理由1 愛好会がつぶれなかったこと
 私が愛好会に在籍できたのは、愛好会が存続したことが一番の要因である。(愛好会がつぶれたら、居座ることもできなかったはずだ。)
 今でこそ会員が30名余を数える大きな会となったのだが、これまで何回か消滅の危機を乗り越えてきたのだ。例会の練習に5人しか集まらず、お茶を飲みながら「どうしたら会員を増やすことができるか」話し合ったことがあった。そのときの結論は「自分たちの子供を育てて、愛好会に入れる外はない」というものだった。
 それから20年、その時の言葉を実行できたのは、たった1名の会員だけである。私も努力してみたのだが、親の苦闘する姿におじけづいたのか、子供は言うことをきいてくれなかった。(親の高尚な芸を理解できないとは情けないことだ。)
理由2 私がお気軽な会員だったこと
 私は中途で入会したこともあり、あまり積極的に会の運営に携わらなかった。いやなこと、苦しそうなことはすべて他の会員に押し付けてきた。それゆえ、愛好会のおいしいところだけを享受してきたのだが、私以外の会員は、志が高く、進んで困難に立ち向かう尊敬すべき若者ばかりで、些細なことは大目に見てもらえたのだ。(年長者を大切にする美風もあった。)
 例えば、新会員勧誘のため、会員が某大学のマンドリンコンサートの受付近くでチラシを撒くことになったことがある。
「それでは、皆さん、がんばりましょう!」「オー!」「オー!」「オー!」
「…あの~…私、その日はちょっと~………」
 とはいえ、私が何もしなかったわけではない。シーズンオフに、老人ホームへの慰問演奏会を提案し手配もしたものだ。リクエストに応えて、お年寄りの歌に合わせて演奏をするカラオケ演奏は、特に人気があった。
「おじいさん、歌いたい歌がありますか。影を慕いてとか、落ち葉しぐれとか」
「ダンシングオールナイトをやってくれ」
「…………」
理由3 愛好会の愛にあふれた気風
 私は、ギターの才能に乏しく、時間的な余裕もなく(体力を蓄えるために食事をしたりテレビを見たり昼寝をしなければならない。)家庭的にも不幸で(花に水をやれとか、部屋を片付けろ、といった妻の要求に苦しめられている。)加えて練習をしようという意欲に恵まれないこともあって、与えられた楽譜を十分に弾きこなせないことが多い。そのような不本意な状況で練習に参加しなければならないことは、まことに遺憾である。
 しかし、愛にあふれた愛好会の諸兄諸姉は「長老にしては音が出ているほうだ」「どうせ本番では弾くフリをするはずだ」と理解と尊敬の念を示してくれるのである。このような居心地のよい雰囲気にくるまれて、私は27年も愛好会を続けることができた。時には冷たい視線を感じることもあるが、多分気のせいだろう。愛好会には、寛容で愛にあふれた会員しかいないはずだ。美しい心根を表出した美男美女ばかりということが、そのことを証明している。
 以上のような理由で、これからもずっと居座ることが許される状況にはあるのだが、私は薄幸薄命の運命(さだめ)の下にあり、これから参加できる定演は50回くらいしかないのが残念である。


同じカテゴリー(高橋長老の御教書)の記事
 高橋長老の御教書 徒然編3 (2015-11-07 21:28)
 高橋長老の御教書 徒然編2 (2015-10-25 21:17)
 高橋長老の御教書 徒然編1 (2015-10-16 23:49)
 高橋長老の御教書 資料編2 (2014-12-25 22:21)
 高橋長老の御教書 資料編 1 (2014-12-08 22:41)
 高橋長老の御教書 新編48 (2014-10-09 21:29)

Posted by 静岡マンドリン愛好会 at 23:16│Comments(0)高橋長老の御教書
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
高橋長老の御教書 資料編3
    コメント(0)