2014年03月24日
高橋長老の御教書 新編41
ありがたいお話であるから正座して読むよ~に
新編41 イイネ!だけでも
新編となった御教書も、今回で41編目である。しかし、これまで会員から反響らしきものは何も帰ってこない。初めのころ、「読んだ感想を書いてほしい」と要望したのだが、まったく無視されたままで、最近は無視される屈辱に耐えかねて、要望することを止めてしまった。
反響はないとはいっても、御教書をアップした時にカウンターの数字が上がる。これにより「少しは読まれている可能性は有るかな」とわずかに心が慰められている。
まあ、いいのだ。御教書は他人から喝采を得んがために書いているのではない。止むに止まれぬ心のほとばしりを水茎*に乗せているだけなのだ。心にもないお世辞を聞いたり、自尊心が潰れるような罵詈雑言を投げつけられるよりはましである。
石川啄木を見よ、中原中也を見よ。彼らの文学は、彼らが生きている時にはほとんど無視されていたではないか。「ルバイヤート*」が晴れて日の目を見るまでに、何百年かかったか。私も、虚しい思いのまま、星を数えて生きて行くのだ。
と、そんな時、何人かの会員が私に言った。
「草マンのI崎さん、長老のファンなんですって」
「えっ、僕のどこがいいのだろう。顔かな」
「違うの。御教書のファンなんだって」
「そうなの、顔やスタイルじゃなくてちょっと残念だけど…嬉しいね」
「どの人なのって訊かれたから、教えてあげたわ」とAさん。
「年も訊かれたから、教えたわ。悪かったかしら」とBさん。
「いや、ちゃんと教えてくれてよかった。長老と呼ばれる理由が年齢しかないからね。それで納得してくれたかい」
「ちょっと納得しなかったみたいだったけど」
「まあ、長老にしては貫禄がないからな~」
「でも、御教書は楽しみにしているんだって」
「愛好会の会員からもそう言って欲しいよ。みんなは、何にも言ってくれないんだもん」
「私たちは、それが当たり前だと思っていたんだけど…」
当たり前じゃない!こんなありがたいお話が、他にあるはずがないではないか。
愛好会の会員から何の反響もなかった背景が、おぼろげながら分かってきた。御教書は会員にとって空気のような存在なのに違いない。
会員諸氏よ、今こそ目覚めよ。他の団体の人は、御教書のありがたさを分かっているのだ。内容の素晴らしさに感動しているのだ。その証拠に、ファンという人がいるではないか。愛好会の会員は、表面切って御教書のファンだと言ってくれなくてもいい。好きだと言ってくれなくてもいい。(もちろんファンだと言ってくれれば一番だ)
しかし、この御教書を読んだら、すぐにコメントボタンを押し、長老をほめそやす言葉を書いてもらいたい。書くのが面倒なら、イイネ!だけでも我慢しよう。私のファンが他団体の人だけ、なんていうのは悲しすぎる。
(注1)水茎 毛筆文字の事。キーボードをたたくこととはかなり差があるが、私としては、毛筆で書く気分でいるのでご寛恕願いたい。
(注2)「ルバイヤート」 著者オマル・ハイヤームは、セルジェクトルコの皇帝マリク・シャー(1072~1092在位)に仕えた大学者。彼が作った四行詩は、無信仰の傾向があったので公にはされず、彼の友人の間でひそかに写し回される存在だった。欧米に紹介されたのは19世紀中ごろ。
新編41 イイネ!だけでも
新編となった御教書も、今回で41編目である。しかし、これまで会員から反響らしきものは何も帰ってこない。初めのころ、「読んだ感想を書いてほしい」と要望したのだが、まったく無視されたままで、最近は無視される屈辱に耐えかねて、要望することを止めてしまった。
反響はないとはいっても、御教書をアップした時にカウンターの数字が上がる。これにより「少しは読まれている可能性は有るかな」とわずかに心が慰められている。
まあ、いいのだ。御教書は他人から喝采を得んがために書いているのではない。止むに止まれぬ心のほとばしりを水茎*に乗せているだけなのだ。心にもないお世辞を聞いたり、自尊心が潰れるような罵詈雑言を投げつけられるよりはましである。
石川啄木を見よ、中原中也を見よ。彼らの文学は、彼らが生きている時にはほとんど無視されていたではないか。「ルバイヤート*」が晴れて日の目を見るまでに、何百年かかったか。私も、虚しい思いのまま、星を数えて生きて行くのだ。
と、そんな時、何人かの会員が私に言った。
「草マンのI崎さん、長老のファンなんですって」
「えっ、僕のどこがいいのだろう。顔かな」
「違うの。御教書のファンなんだって」
「そうなの、顔やスタイルじゃなくてちょっと残念だけど…嬉しいね」
「どの人なのって訊かれたから、教えてあげたわ」とAさん。
「年も訊かれたから、教えたわ。悪かったかしら」とBさん。
「いや、ちゃんと教えてくれてよかった。長老と呼ばれる理由が年齢しかないからね。それで納得してくれたかい」
「ちょっと納得しなかったみたいだったけど」
「まあ、長老にしては貫禄がないからな~」
「でも、御教書は楽しみにしているんだって」
「愛好会の会員からもそう言って欲しいよ。みんなは、何にも言ってくれないんだもん」
「私たちは、それが当たり前だと思っていたんだけど…」
当たり前じゃない!こんなありがたいお話が、他にあるはずがないではないか。
愛好会の会員から何の反響もなかった背景が、おぼろげながら分かってきた。御教書は会員にとって空気のような存在なのに違いない。
会員諸氏よ、今こそ目覚めよ。他の団体の人は、御教書のありがたさを分かっているのだ。内容の素晴らしさに感動しているのだ。その証拠に、ファンという人がいるではないか。愛好会の会員は、表面切って御教書のファンだと言ってくれなくてもいい。好きだと言ってくれなくてもいい。(もちろんファンだと言ってくれれば一番だ)
しかし、この御教書を読んだら、すぐにコメントボタンを押し、長老をほめそやす言葉を書いてもらいたい。書くのが面倒なら、イイネ!だけでも我慢しよう。私のファンが他団体の人だけ、なんていうのは悲しすぎる。
(注1)水茎 毛筆文字の事。キーボードをたたくこととはかなり差があるが、私としては、毛筆で書く気分でいるのでご寛恕願いたい。
(注2)「ルバイヤート」 著者オマル・ハイヤームは、セルジェクトルコの皇帝マリク・シャー(1072~1092在位)に仕えた大学者。彼が作った四行詩は、無信仰の傾向があったので公にはされず、彼の友人の間でひそかに写し回される存在だった。欧米に紹介されたのは19世紀中ごろ。