2013年02月01日
高橋長老の御教書 新編18
ありがたいお話であるから正座して読むよ~に
新編18 YouTube
YouTubeに、前回定演アンコール曲「花は咲く」の演奏がアップされていると聞きつけた。どなたがアップしてくださったのか分からないが、ともかく、愛好会の演奏が全国に紹介されたことは喜ばしい。さっそくインターネットをつなぎ、「花は咲く、静岡マンドリン愛好会」で検索してみる。すると、簡単に映像が見つかった。
わくわくして演奏の映像を見ていると、改めてその時の楽しさが思い出されてくる。出演している会員が、歌を口ずさみながら楽しげに弾いている。前に立つ8人の歌い手も、臆する色もなく大きな口を開けて歌っている。
そうだ。やはりこの曲は、みんなが心をつなげるために心を込めて演奏する曲なのだ。私もこの時は、みんなと同じように大きな声で歌いながら演奏した記憶がある。私にとっては、この定演で一番感動した場面で、この映像を見る人にも、その場の盛り上がった雰囲気が伝わってくるはずだ。
しかし、どうしたことか。私が写っている場面を見ると、私の記憶とは全く違っている姿が出てきたではないか。周りの会員が幸せそうに歌詞を口ずさみながら演奏しているのに、私だけがニヒリストのように無表情のままギターを弾いている姿が流れている。そんなはずはない。私は、演奏の楽しさを表現しようと、常に心がけているのだ。その努力の様子が全く映像に写っていないとは、これはきっと写したビデオカメラに問題があるに違いない。その証拠に、いつもは鬼が島の番人のような男が、仏様のような表情に写っているではないか。こんなに、事実を歪曲して映すビデオカメラがあるとは思わなかった。
私が写真写りの悪いのは、おおかた写真機のせいで、世に粗悪な写真機があふれていることを嘆かわしく思っていたが、ビデオカメラにもこんな悪質なカメラがあるとは予想もしなかった。関係者は、消費者保護法で厳しく取締りをしてもらいたい。(なお、最近私の鏡写りも悪くなった。出来の悪い鏡が出回っていると思われる)
この責任の一端は、撮影機材(カメラ)の技術の遅れにあるのではないか。技術の進歩は日進月歩とはいえ、カメラ技術はまだまだ進歩の途中だ。今回のような場面で私の顔が写ったら、一瞬のうちに「松潤」の顔と入れ替わって欲しいのだが、まだ当分そんなカメラは開発されそうもない。しかし、顔の入れ替えは難しいにしても、にこやかで情味あふれる表情に撮影してくれる機材は、さほど難しいとも思えない。鬼の顔が仏の顔に写るのだから、その原理を応用すればできるはずだ。カメラの開発に携わっている企業にこのことを強く要望しておきたい。
あ~、それにしても顔がアップされた若い女性陣は、みんな美人である。「私の写っているビデオがあるのよ」と、全国どこへ行っても自慢できるのがうらやましい。それに引き換え、ビデオカメラのせいにしなければならない我が身がせつない。
新編18 YouTube
YouTubeに、前回定演アンコール曲「花は咲く」の演奏がアップされていると聞きつけた。どなたがアップしてくださったのか分からないが、ともかく、愛好会の演奏が全国に紹介されたことは喜ばしい。さっそくインターネットをつなぎ、「花は咲く、静岡マンドリン愛好会」で検索してみる。すると、簡単に映像が見つかった。
わくわくして演奏の映像を見ていると、改めてその時の楽しさが思い出されてくる。出演している会員が、歌を口ずさみながら楽しげに弾いている。前に立つ8人の歌い手も、臆する色もなく大きな口を開けて歌っている。
そうだ。やはりこの曲は、みんなが心をつなげるために心を込めて演奏する曲なのだ。私もこの時は、みんなと同じように大きな声で歌いながら演奏した記憶がある。私にとっては、この定演で一番感動した場面で、この映像を見る人にも、その場の盛り上がった雰囲気が伝わってくるはずだ。
しかし、どうしたことか。私が写っている場面を見ると、私の記憶とは全く違っている姿が出てきたではないか。周りの会員が幸せそうに歌詞を口ずさみながら演奏しているのに、私だけがニヒリストのように無表情のままギターを弾いている姿が流れている。そんなはずはない。私は、演奏の楽しさを表現しようと、常に心がけているのだ。その努力の様子が全く映像に写っていないとは、これはきっと写したビデオカメラに問題があるに違いない。その証拠に、いつもは鬼が島の番人のような男が、仏様のような表情に写っているではないか。こんなに、事実を歪曲して映すビデオカメラがあるとは思わなかった。
私が写真写りの悪いのは、おおかた写真機のせいで、世に粗悪な写真機があふれていることを嘆かわしく思っていたが、ビデオカメラにもこんな悪質なカメラがあるとは予想もしなかった。関係者は、消費者保護法で厳しく取締りをしてもらいたい。(なお、最近私の鏡写りも悪くなった。出来の悪い鏡が出回っていると思われる)
この責任の一端は、撮影機材(カメラ)の技術の遅れにあるのではないか。技術の進歩は日進月歩とはいえ、カメラ技術はまだまだ進歩の途中だ。今回のような場面で私の顔が写ったら、一瞬のうちに「松潤」の顔と入れ替わって欲しいのだが、まだ当分そんなカメラは開発されそうもない。しかし、顔の入れ替えは難しいにしても、にこやかで情味あふれる表情に撮影してくれる機材は、さほど難しいとも思えない。鬼の顔が仏の顔に写るのだから、その原理を応用すればできるはずだ。カメラの開発に携わっている企業にこのことを強く要望しておきたい。
あ~、それにしても顔がアップされた若い女性陣は、みんな美人である。「私の写っているビデオがあるのよ」と、全国どこへ行っても自慢できるのがうらやましい。それに引き換え、ビデオカメラのせいにしなければならない我が身がせつない。
Posted by 静岡マンドリン愛好会 at 21:22│Comments(0)
│高橋長老の御教書